ホーム>文化>小倉百人一首について>90.見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変らず 殷富門院大輔
小倉百人一首の九十首目は殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌です。殷富門院大輔は後白河天皇の第一皇女・殷富門院(亮子(りょうし)内親王)に仕えていた女房で、殷富門院の出家に伴って出家したそうです。生没年は不詳ですが、歌の評価はとても高かったようです。多くの歌人と交流があり、自ら歌会を開催するなど歌人として積極的に活動し、女房三十六歌仙の一人に選ばれています。この歌は、失恋のつらく悲しい気持ちを詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「あの人にも私の袖を見せたいものです。雄島の漁師の袖でさえ、濡れつづけていても色は変わらないのに。(私の袖は血の涙で濡れて色が変わってしまいました)」です。お相手は心変わりしてしまったのでしょうか。漁師は海の潮水で袖が濡れていますが、私の袖は涙で濡れている。でも、泣きすぎて血の涙が出て袖の色が変わってしまうとは、ちょっと怖い感じがします。でもそれだけ失恋のつらさ、苦しさが深かったということでしょうか。
この歌は源重之の歌の本歌取りだそうです。袖を濡らすことが恋にやぶれて涙を流していることを意味する定番の表現になったのも、このあたりからかもしれません。殷富門院大輔さんの気持ちもいつかは晴れて、袖も乾いてほしいものです。
藤原定家は殷富門院大輔のこの歌を百人一首の九十首目に選びました。定家好みの失恋の歌です。定家もまた、好きな人に逢えない悲しみから、袖を濡らし続けた日々があったのかもしれません。