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91.きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣(ころも)かたしき ひとりかも寝む   後京極摂政前太政大臣

小倉百人一首の九十一首目は後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)こと九条良経(くじょうよしつね)の歌です。九条良経は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿で、激変する時代の中で昇進や失脚を経て摂政・太政大臣にまでなりますが、三十八歳の若さで急死します。和歌は藤原俊成に師事しており、和歌所寄人の筆頭になっていて、定家とも交流がありました。この歌は、こおろぎが鳴く秋の夜のさみしさを詠んだものです。

91.きりぎりす 鳴くや霜夜(しもよ)の さむしろに 衣(ころも)かたしき ひとりかも寝む   後京極摂政前太政大臣

歌の解釈としてはおおよそ、「こおろぎが鳴いている、霜が降りてくる寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を敷いて、私は一人さみしく寝るのだろうか」です。寒さが増す秋の夜に、おそらくは山里のあばら家で、たった一人でコオロギの声を聞きながら寝るのは、とてもさみしさを感じさせますね。ちなみに、平安時代にきりぎりすと呼んでいたのは現代のコオロギだそうです。逆に、現代のきりぎりすを昔はコオロギと呼んでいたらしいです。
この歌を詠んだ九条良経さんは、摂政・太政大臣にまでなった人ですから、山里のあばら家で一人寝したわけでは無いと思います。この歌は二首の歌を本歌取りしています。おそらく藤原俊成さんから学んだ歌の技法をもとにして良経さんが智恵を凝らして詠んだものなのでしょう。
藤原定家は九条良経のこの歌を百人一首の九十一首目に選びました。和歌所寄人の筆頭による、技巧を凝らした歌ですから、百人一首に選ばれて当然の歌といってもいいでしょう。もしかしたら定家は良経さんのこの歌を聞いたとき、二首も本歌取りしている技巧の上手さに思わずうなったかもしれません。


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