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92.わか袖(そで)は 塩干(しおひ)に見えぬ 沖の石の 人こそしらね かはくまもなし   二条院讃岐

小倉百人一首の九十二首目は二条院讃岐(にじょういんのさぬき)の歌です。二条院讃岐は生没年不詳ですが平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての女房・歌人です。二条院に仕えていたので二条院讃岐と呼ばれているようですが、経歴には異説もあるようです。源頼政の娘で、若いころから歌人としての評価は高く、出家後も活躍し、女房三十六歌仙の一人に選ばれています。この歌は、人知れず悲しみの涙で濡れる自分の袖を、引き潮でも見えない沖の石になぞらえて詠んだものです。

92.わか袖(そで)は 塩干(しおひ)に見えぬ 沖の石の 人こそしらね かはくまもなし   二条院讃岐

歌の解釈としてはおおよそ、「わたしの袖は、引き潮でも海の下にあって見えない沖の石のようなものだ。他人は知らないだろうが、乾く間もないのだ」です。人知れず悲しみの涙を流し袖が濡れつづけているとは、いったいどんな悲しいことがあったのでしょう。忍ぶ恋、人に知られないように恋をしているので、濡れた袖は誰にも見せることができないのかもしれません。
この歌は、石に寄する恋をお題にして詠んだ歌だそうです。恋と石を結びつけるとは、なかなか難しいお題ですね。讃岐さんは、和泉式部の「水の下なる石」の歌を本歌取りしつつ、自分の袖を 塩干に見えぬ沖の石になぞらえてみごとな歌を詠みました。はるか沖にある石は、誰も知らないし人には見えないけれど乾く暇もない、それは私の涙で濡れつづける袖と同じだと。さすが歌の上手さでは定評のある讃岐さんです。
藤原定家は二条院讃岐のこの歌を百人一首の九十二首目に選びました。忍ぶ恋、人知れず濡れつづける袖、定家が好みそうな歌ですね。百人一首の数ある忍ぶ恋の歌の中でも代表的な作品のひとつといっていいでしょう。定家もまた忍ぶ恋に心を悩ませ、人知れず袖を濡らし続けていたのかもしれません。


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