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93.世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)こぐ 海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも   鎌倉右大臣

小倉百人一首の九十三首目は鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)こと源実朝(みなもとのさねとも)の歌です。源実朝は源頼朝の二男で、十二歳で鎌倉幕府第三代の征夷大将軍(三代鎌倉殿)となった人です。武士でありながら和歌や蹴鞠(けまり)を好み、朝廷との関係を大事にして出世し、右大臣にまでなりましたが、二十八歳で鶴岡八幡宮にて甥の公暁に暗殺されました。和歌は藤原定家に師事しており、歌人として活躍したわけではありませんが、その才覚は高く評価されていたようです。この歌は、世の中がどうか変わらないようにと願う切ない気持ちを詠んだものです。

93.世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)こぐ 海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも   鎌倉右大臣

歌の解釈としてはおおよそ、「世の中がずっと変わらないままでいてくれたらいいのになあ。渚を漕いで行く漁師の小舟が、舳先にくくった綱で陸から引かれている情景を見ると、いとおしくて切なく感じられる」です。一見ごくありふれた情景でも、実は貴重な瞬間なのかもしれない。この景色を自分はいつまで見ることができるだろうかと、まるで実朝さんが自らの運命を予見していたかのようにも思われる、気持ちが込められた歌ですね。
時代は変わります。世の中は変化します。毎日同じことの繰り返しと思っていたら、いつの間にか過去ははるか遠くに行ってしまいます。時代が変わらないでほしい、同じ情景をいつまでも変わらないまま見ていたい、というのは無理な願い、かなわない望みなのかもしれません。特に源実朝が生きていたころは激動の時代、天皇の権威とともに文化や伝統がだんだん軽んじられ、武力のある実力者が実権を握るようになってきます。激動の時代に生きなくてはならない人たちほど、変わらない安定した時代を望むようになるのかもしれません。
この歌は二つの歌を本歌取りしており、また願う気持ちと叙景を織り込んでいて非常に高度な作品だといわれています。鎌倉にいて京都の歌壇からは離れており、また若くして亡くなったため歌はそれほど多く残っていませんが、その少ない作品の中でも実朝さんの才能の高さがうかがい知れますね。若くして暗殺されてしまったのが惜しまれます。
藤原定家は源実朝のこの歌を百人一首の九十三首目に選びました。才覚あふれる弟子・源実朝の歌を定家が選んだのは、実朝の人生に対する特別な思いがあったのかもしれません。すでに武士の時代が始まり、和歌や蹴鞠(けまり)など朝廷の文化が衰えていく中で、あえて朝廷との関係を大事にした三代鎌倉殿、その早すぎる死を悼むとともに、定家自身も「世の中がずっと変わらないままでいてくれたらいいのになあ」と思っていたのかもしれません。


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