TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>94.み吉野(よしの)の 山の秋風 小夜(さよ)ふけて ふるさと寒く 衣(ころも)うつなり   参議雅経

94.み吉野(よしの)の 山の秋風 小夜(さよ)ふけて ふるさと寒く 衣(ころも)うつなり   参議雅経

小倉百人一首の九十四首目は参議雅経こと藤原雅経(ふじわらのまさつね)の歌です。藤原雅経(あるいは飛鳥井雅経)は平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿・歌人です。蹴鞠(けまり)が得意で飛鳥井家の祖とされています。鎌倉では源頼朝に高く評価され大江広元の娘を正室にもらっています、帰京してからは後鳥羽上皇に重んじられました。和歌は藤原俊成や定家に師事しており、新古今和歌集の撰者の一人となっています。官位は従三位・参議です。この歌は、秋の吉野のわびしい様子を詠んだものです。

94.み吉野(よしの)の 山の秋風 小夜(さよ)ふけて ふるさと寒く 衣(ころも)うつなり   参議雅経

歌の解釈としてはおおよそ、「奈良の吉野の山の秋風が吹き、夜が更けてきて古い都の吉野の里も寒々しく、衣を砧(きぬた)で打つ音だけが聞こえてくる」です。吉野の里はかつて都として栄えていたのに、今はさみしい田舎となっている。そんな時代の変化と目の前のわびしさが、雅経さんの無常観を思わせます。
この歌は本歌取りの技巧の上手さが高く評価されています。ただ、本歌取りの上手さもさることながら、時代の変化と共にかつての都が寂れてしまったというわびしさが、味わい深いものを感じさせてくれます。
藤原定家は参議雅経のこの歌を百人一首の九十四首目に選びました。わびしい吉野の里の情景を詠んだ歌を定家が選んだのは、ただ本歌取りの技巧が上手かったからというだけではなさそうです。かつての都の吉野の里が寒々しく、わびしくなったように、京の都もこれから寒々しく、わびしくなるかもしれない。時代が鎌倉に移っていく中で、定家は京の都が奈良の吉野の里のようになるのではないかと、そんな不安を感じながらこの歌を味わっていたのかもしれません。和歌と蹴鞠(けまり)が得意で、鎌倉殿にも後鳥羽院にも気に入られた参議雅経は、大きく変化する時代をどう見ていたのでしょうか。そう思いながら見直してみると、この歌はまた違った味わいを感じさせてくれます。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る