ホーム>文化>小倉百人一首について>95.おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖 前大僧正慈円
小倉百人一首の九十五首目は前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)の歌です。慈円は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天台宗の僧侶で、四度も天台座主になった人です。後法性寺関白(ごほっしょうじかんぱく)こと九条兼実(くじょうかねざね)の弟で政治にも関わりがあり、「愚管抄(ぐかんしょう)」の作者として知られています。歌人としても有名で味わい深い歌を詠んでいます。この歌は、僧侶としての使命感と決意を詠んだものとされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「身分不相応なことを言うようではあるけれども、仏法を教え伝える立場として、うき世の人々を覆ってあげるのだ。私が住む比叡山の森と墨染めの袖で」です。「おほけなく」は身の程をわきまえないとか、身分不相応であるという意味です。慈円さんは関白にまでなった九条兼実の弟であり、天台座主に四度までなった人ですから、身分不相応とは謙そんでしょう。ただ天台座主として、人々を救済し、正しい仏法へと教え導かなくてはならない、という慈円さんの強い使命感が感じられる歌ですね。
これは修業していた山を降り、都に戻って時の政治にも関わって人々を教え導こうという、慈円の決意の歌だとする解釈があります。実際、慈円さんは僧侶でありながら当時の政治にも関わりを持ち、歴史書も残しています。いつまでも一人で山にこもって修業するだけではなく、都に戻って人々を教え導くのも仏道を志すものの重要な使命だという考えがここにはあるようです。宗教家が政治に関わるというと、現代では政教分離の精神に反するのではないかと批判されそうです。でも、汚職や腐敗まみれの政治の世界にこそ仏教の正しい教えが必要なのかもしれません。宗教家が政治に関わることは正しいことでしょうか、それとも間違っていることでしょうか。
藤原定家は前大僧正慈円のこの歌を百人一首の九十五首目に選びました。激動の時代、武士が台頭し政治が乱れ、京の都の文化や伝統がないがしろにされる時代において、定家は慈円のような人が世の乱れを正し、文化や伝統を守ってくれるのを待ち望んでいたのかもしれません。願わくは現代の政治家たちも、私利私欲や利権のために動くのではなく、世の中を正し、人々を救うという使命のために動いてもらいたいものです。