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96.花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり   入道前太政大臣

小倉百人一首の九十六首目は入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)こと藤原公経(ふじわらのきんつね)、あるいは西園寺公経(さいおんじきんつね)の歌です。姉が藤原定家の後妻さんで、定家の義弟になります。鎌倉幕府と親しく、承久の乱で後鳥羽上皇に幽閉されますが、幕府に情報を伝えてその勝利に貢献し、出世して太政大臣、従一位にまでなりました。六十を過ぎて出家し、西園寺を建てて住んでいたそうです。この歌は、嵐の日の庭と対比させて老いゆく自分への嘆きを詠んだものです。

96.花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり   入道前太政大臣

歌の解釈としてはおおよそ、「桜の花を誘うように吹き散らかす嵐の庭は、まるで雪が降っているように見えるが雪ではなく、降っている白いものは私自身ではないか」です。髪が白くなり、皺が寄り、老いていく自分自身を嵐の庭に見立てて、衰えていく自分への嘆きの気持ちを詠んだ歌ですね。悲しくてあわれなうたですが、自虐的なところがちょっとコミカルな感じもします。
西園寺公経さんは承久の乱以降、幕府との太いつながりによって出世し、貿易などで富を増やしていきます。ただ、公卿であるのに後鳥羽上皇に付かず、幕府にその情報を流し、それによって出世を実現し富を得たことは邪悪な裏切りではないかと、後に批判されることも少なくなかったようです。
藤原定家は西園寺公経のこの歌を百人一首の九十六首目に選びました。定家の義弟であり、西園寺家の祖ともいわれる公経さんですが、百人一首に選ばれなければ、この作品が多くの人々に知られることはなかったかも知れません。定家も小倉山にこもりながら、老いていく自分を嘆いていたのでしょうか。


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