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98.風そよぐ ならの小川の 夕暮(ぐれ)は みそぎぞ夏の しるしなりける   従二位家隆

小倉百人一首の九十八首目は従二位家隆(じゅにいいえたか)こと藤原家隆(ふじわらのいえたか)の歌です。藤原家隆は鎌倉時代初期の公卿・歌人です。和歌は藤原俊成に師事しており、和歌所寄人になっています。年齢を重ねるごとに多くの歌を詠んで同時代の定家とも引けを取らないほどその評価が高まりました。また、後鳥羽院とも和歌で交流していました。最終官位は従二位・宮内卿です。この歌は「夏越の祓」で川に入って身を清める禊祓をテーマにして詠んだものです。

98.風そよぐ ならの小川の 夕暮(ぐれ)は みそぎぞ夏の しるしなりける   従二位家隆

歌の解釈としてはおおよそ、「風がそよぎ、楢の木の葉が揺れる小川の夕暮は、秋のように涼しげであるが、その小川で執り行われている禊祓(みそぎばらい)こそが、今は夏であることの証拠である」です。夕暮れになって、小川の川岸は涼しくてもう秋だな、と思わせるほどなのかもしれません。でも今は「夏越の祓」を執り行う季節、つまり夏だということです。そんな情景が浮かぶとともに涼しさや季節感ももたらしてくれる歌ですね。
「ならの小川」というのは、上賀茂神社の境内を流れる御手洗川のことだそうです。上の句だけを見たら「ならの小川」は「奈良の小川」と考えてしまいそうです。でも、下の句に「みそぎ」という言葉が出てきますから、これは夏のみそぎ、すなわち「夏越の祓」の行事が行われている場所を指すことになります。実際、当時から上賀茂神社の「夏越の祓」の行事はとても有名だったのかもしれません。ただ、もしかしたらこの歌はあえて楢と奈良の言葉をかけていて、家隆さんは私たちに奈良の小川に入ってみそぎをしている人たちの情景を想像させようとしているのかもしれません。「ならの小川」という言葉を選んだのは、そんなトリックを隠しているとも考えられます。
藤原定家は藤原家隆のこの歌を百人一首の九十八首目に選びました。「夏越の祓」をテーマにした、季節感と涼しさを感じさせる、心地よく味わい深い歌ですから、百人一首に選ばれるのも納得ですね。定家の歌選びの幅広いセンスと、激動する時代の中でともに和歌を愛した和歌所寄人の仲間でありライバルでもある家隆への敬意が感じられます。


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